2016年5月22日 「何をお祈りするか?」

 

 聖書箇所 ピリピ1:9-11

今朝は、ピリピ人への手紙から御言葉を聞いていきたいと思います。

この手紙は、パウロが牢獄されている時に書かれたものですが、彼の心や霊は決して縛られることなく、神様に対する感謝と喜びで満たされていました。

 

パウロは祈りの人でしたが、主にある兄弟姉妹のために、何を祈っていたのでしょうか。

 

 

1.あなたがたの愛が、いよいよ豊かになるように祈る

 

 9節)

 

 パウロは、祈りの中で、兄弟姉妹たちが成長していくように祈っています。

 

その中でも、特に愛が豊かになっていくように祈っています。私たちの愛が、ますますイエス様に似た者となって成長していくために必要なことは何でしょうか。

 

 それが、「真の知識とあらゆる識別力」によって、豊かになることです。

 ここでいう真の知識というのは、神様を知る。真理をしることです。

 

 真の愛、神様の愛がいよいよ私たちのうちに豊かになっていくために、私たちが神を知り、真理を知ることが必要です。

 

 決して、時代に流されることなく、変わることのない、確かなる御言葉を知ることで、私たちのうちに愛することが訓練されていきます。

 

 箴言1:7

 「主を恐れることは知識の初めである」とあるように、人が真に愛を豊かにするためには、神を知り、神のひとり子イエス・キリストを知ることが必要です。

 

 次に、「あらゆる識別力」とは何でしょうか。

 

何が正しくて、何が正しくないのか。それを行うとどういう結果を生むか。それを知っているということです。

 

 いっぱい怪我をした子供は、こういうことをすると危ないということがわかってきます。

神様は、私たちが盲目に歩み、危険を冒しながら識別力をつけるようにと勧めてはいません。もちろん、経験を通して見えてくる世界がありますが、御言葉をきき従いなさいといっています。

 

愛は、識別力がともなっているものです。

 

 何をするのか、しないのか。あなたに与えられている時間をつかって、何をするのか、しないのか。 

あなたに与えられているお金をつかって、何をするのか、しない。

あなたに与えられて能力、力をどこにむけるべきか。

 

真にすぐれたものを見分けていくことができ、愛が豊かになっていきますように。

 

 2:キリストにあって、義の実に満たされる者になりますように。

 

 10節後半~

 

 またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄と誉れが現されますように。

 

  純真で:まじりけがない。不純なものがないこと。純真というのは、別なものが入っていない、不要なものが入っていない。それだけになっている。いらないものを、取り除かれている状態のことです。

 

 私たちの性質が、純粋で、非難されることがないもの、良い物だけになっていくことを祈っていくのです。

良い物になっていくというのは、いい持ち物を持っているとか、周りによい友人がいるから、その人がよい者になっていくわけではありません。私たちの内側にある罪が、示され、悔い改め、それを手放していく。という作業を繰り返していくということです。不純なものが入ってきた度に、それを取り除いていくときに、純真なものになっていきます。

 

 非難されることがない:人をつまずかせることがない

 

 一緒に歩んでいる人の足をひっぱらない。一緒に生きている仲間を、私があなたにとって、助けでありたい。あなたが、私にとって助けとなってほしい。お互いにとってよい益を与える関係、そういう関係を求められている。それが実現していく。相手をおとしめたり、利用したり、するのではなく、お互いに神の御前で、歩みが完成されていく。お互いにキリストによって与えられる義の実に満たされるようにと、励ましあうのです。

 

しかし、この義の実は、自分の行いで得られるものではありません。イエス・キリストによって、与えられる義です。神様によって、無条件の愛と赦しを体験したものとして、恵みから恵みへと導かれ価値観が変わっていくことによって、義の実にみたされているものになっていくのです。

 

 私たちの愛がキリストにあって成長していくように。義の実に満ちたものとなっていき、主の栄光があらわされますように、お祈りしていきましょう。

 

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